海を失った男

海を失った男 (河出文庫)
SFの魅力はソリッドでカッコいいことだとばかり思っていた十代の頃は、まれに交通事故のようにして出会うスタージョンの短篇を読んでも、どこがいいのかさっぱりわからなかった。ディテールは古臭いしオチに驚きもない。なぜ、こんな作家が評価されるのかと、不思議で不思議でしょうがなかった。
その疑問の答えは、古書店で法外な値札の付けられた一角獣・多角獣に隠されている筈だったが、それを買うことなど貧乏学生には到底叶わないまま、SFマガジンの記念号(25周年号だか500号だったか忘れた)に再録された『孤独の円盤』に出会い衝撃を受ける訳だが、その時も、そしてそれ以降も「この小説(あるいはこの衝撃)をSFと思っていいのだろうか?」と、ずっとずっと考えていた。
今にして思うと、何も「SFでなければいけない」とジャンルを決めつける必要はないのだが、その頃はSF以外の小説の魅力も知らず、読み方もわからなかったのだろう。今は自然とスタージョンの小説の魅力を感じることが出来るし、考えることが出来る。
こんなことを云うと莫迦みたいだが、家族以外の他人を愛することが出来るようになったから…そんな当たり前のことを、ようやく経験したからではないだろうかと、思わなくもない。


本書は、大森望による『不思議のひと触れ』と共に、スタージョンリバイバルのきっかけとなった短篇集であり(この二冊の刊行が、ついには早川書房に、『一角獣・多角獣』を含む〈異色作家短篇集〉を復刊させることにもなった)、編者である若島正自身も書いているが、『不思議のひと触れ』がSF側から見たスタージョンだとすれば、純文学として読まれたスタージョンとでも云えばいいかもしれない。そしてまた、今の僕にはそう考えた方が、スタージョンを上手く引き出しにしまうことが出来る。SF者としては悔しいが。