さびしい/さみしい/寂しい/淋しい

淋しい熱帯魚


万葉集の時代に多く使われた「さぶし」が、平安時代になって「さびし」となり、それが中世末期ごろから「さみし」と変化して、「さびし」と並んで用いられたようです。
現代でも両方の形が用いられますが、古くから使われた「さびしい」を標準語形と見る考え方が多いようです。


この、「さびしい」「さみしい」のように、バ行音・マ行音にわたる音韻交替の現象の例としては、他に、「けぶり」「けむり」(煙) があり、これは現在ではほとんど「けむり」に統一された感がありますが、(目を)「つぶる」「つむる」の場合は、今なおゆれている例と言えるでしょう。


なお、「さびしい」と「さみしい」では、現代人の語意識として両者の間に多少の意味・語感の違いがあるようです。
「さびしい」は、
 (1) 本来あるはずのものが欠けていて、満たされない気持ちを表す。
  例「さびしい正月を迎える」「ふところがさびしい」
 (2) 人声や物音がしないで、ひっそりしている。
  例「さびしい山道」
という両方の場合、つまり主観性・客観性どちらの場合にも用いられますが、「さみしい」の方は、主観性・情緒性が強く、(1)の場合に集中して用いられる傾向があるようです。
例えば、歌の歌詞などで、どちらが多く使われているかを調べてみると面白いかもしれませんね。


「寂」か「淋」かについては、以前同様の質問があり、その際、「淋」という字は、淋病を連想するので使わない、という意見がありました。


さびしいは、上代には「さぶし」という形が一般的で、中古以降「さびし」に転じた。
さびしいの語源となる「さぶし」の「さぶ」は、「心が荒れすさぶ」「勢いが衰える」「古くなる」といった意味の「さぶ(荒ぶ)」を形容詞化した「さぶし(不楽)」からであろう。
「錆(さび)」が語源で、心が満たされない思いを鉄や胴が錆びたさまにたとえたものとする説もあるが、「錆・錆びる(さび・さびる)」も「さぶ(荒ぶ)」から生じた語と考えられる。
さみしい(さみし)の語形は、近世以降見られ、「さびし」が音変化したもの。
「さびしい」から「さみしい」のように、「b」の音から「m」の音、また「m」の音から「b」の音への変化は、目を瞑るの「つむる」「つぶる」、「けむり(煙)」が「けぶり」、「おつむ(頭)」の「つむり」が「つぶり」からなど多くある。
漢字「寂」の「叔」は、細く小さい意味があり、「寂」は「家」+「叔」で、家の中の人声が細く小さくなったさまを表す。
「淋」の「林」は、木立が続くところから、絶え間なく続くという意味があり、「淋」は「水」+「林」で、絶え間なく汁がしたたることを表す。
「寂」の漢字には「さびしい」の意味があるが、「淋」の漢字には本来「さびしい」といった意味はない。