レジティマシー(legitimacy)

その粉川哲夫の日記から。


技術的な問題は別にして、福島とスリーマイル島とのあいだではっきり違っていることがある。それは、スリーマイル島のときは、最初から最後まで州知事(ディック・ソーンバーグ)が処理と広報を仕切っていたのに対して、福島では官房長官つまり国の責任者が対応したことである。国家的な事件だからあたりまえではないかというかもしれないが、「地方の時代」「地方分権」というようなことがいわれても、日本では、県も府は所詮国家の支配下にあるということが見事にあらわになった。


といって、スリーマイル島のときワシントンがペンシルベニアにすべてをまかせたわけではない。また、州ですべてを処理できたわけでは全然ない。それどころかカーター大統領は、現場の心臓部の視察までやっている。が、面白いのは、カーターの来訪が国家元首として当然といったロジックのものではなかったことだ。州知事は、危険だからという理由で一度は断っている。が、カーターは、核の技術者でもあったわたしのあくまでも「個人的な訪問」だとして、ヘリコプターで婦人をともなってやってきた。


いくつもドキュメンタリーがあるが、このときカーター夫妻は、長靴をはいてコントロールルームまで入っている(福島はコントロールルームは壊れ、非常用のオフサイトセンターも使えなかったというから、その点では「スリーマイル島以上」である)。また、事故後に組織された調査委員会は、大統領の名のもとに組織されている。だから、スリーマイル島の事故が州の問題で片付いたわけでは全くないのだが、わたしが言いたいのは、組織のタテマエのことである。


今回、菅首相も枝野官房長官も、恨まれこそすれ、現地の人からも国民からもその訪問を有難がられることはなかったし、今後もないのだが、カーターは、リアクターが「水素爆発」するかもしれないという危険(それがスリーマイル島の危機の要だった)を犯して現地に赴いたことを大歓迎され、帰りの車は沿道の市民の拍手を浴びた。そして、「大統領が来るのなら安心だ」という印象すらあたえた。これは、レジティマシーのコントロールという点でうまいやり方だった。


legitimacy
音節le・git・i・ma・cy 発音記号/lɪdʒíṭəməsi/
【名詞】【不可算名詞】
1a合法性,適法.
b嫡出(ちやくしゆつ), 正統,正系.
2道理にかなっていること,妥当性.