人間が書けていない。

アドレナリン
昔、新本格の出始めの時に、こんな言葉をよく聞いたけれど、そりゃ当たり前だよな。
殺人事件の謎を解くことに、人(第三者)が一生懸命になれる訳がない。
いや、毎度、いまさらの話なんだけどさ。
新本格とか読んでた十代の頃は「人間が書けてない」って言葉の意味が、やっぱりわかってなかった。
じゃあ翻って「謎解きしなくちゃ死んじゃう!」みたいなルール付けをしてやれば…って、これじゃあジェイソン・ステイサムの映画みたいだな(笑)

でも、ストーリー先でそれに当てはめていくんじゃなく、キャラクターの心情からストーリーを作ることは重要なんじゃないかと、ふと思った。
平井和正が、長編第一作の『メガロポリスの虎』を書いた時に、当時のSFマガジン編集長だった福島正実からダメ出しくらいまくって「登場人物たちが幽霊みたいに生気がなくなってしまって」と、どこかに書いてたのを覚えているんだが、これもストーリーだけを追いかけた所為なんだろうなあと、いま、ようやく思う。

いや、これも当たり前の話だな(^_^;)
当たり前過ぎて、嫌になる。