通夜と葬儀

玄関の扉を開く前から普段は嗅ぐことのない線香の匂いが鼻についた。
布団に寝かされた父親の前に座り手を合わせようとしたそのとき、父親の頭のあたりから壁沿いに何かが「さわさわ」と走り去る気配がしたので、そのことを家族に話すと、そういうスピリチュアルなものを普通に信じる継母は「そうやろー?気配のするやろー?」と当たり前のように応じ、歳相応にオカルトの影響を受けやすい弟は物凄く嫌な顔をした。
遺族席に座ったのは初めてだったので、お経をあげるお坊さんの手元が良く見えて、ただ手を合わせているのではなく、色々な形に組み替えたり袂で隠したりといった「出し入れ」をしているのだと初めて知った。
お経をあげたあと、お坊さんはとてもわかりやすくて良い話を一つしてくれたのだが、通夜には弟や妹たちの同級生が大勢来てくれていたので、あの話は学生服姿の多さに感動したお坊さんが彼らに向けてしてくれたんじゃないかと思っている。
棺の小窓から見える顔は憑き物が落ちたようにおだやかで、本当はこういう顔も出来る人だったのかもと思い至った。実際は筋肉がゆるんでしまってそう見えるというだけなのだろうが。
仕事で付き合いのあったらしいとある人がこらえるように静かに涙を流しているのを見て、うちの父親が死んだことに対してこんな風に泣いてくれる人がいるのかと正直驚いた。
布団に寝かされた父親の姿を見たときも、通夜の準備のときに布団からのぞいた死斑の浮いた足を見たときも、火葬場で骨拾いをしたときも涙は出なかったが、葬儀も終わっていったん福岡に戻るという段になって、継母に「ありがとうございました」と頭を下げたとき、継母に…母親に出会えて父親は本当に幸せだったと自然に思えて、不意にこぼれそうになった涙をこらえるのに苦労した。
その後、無事福岡には戻ったが、未だ疲れが取れず体調は最悪だ。