叙位

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)



936: 名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/21(金) 02:16:51.48 id:GW484Mnr0
柳生十兵衛なんて大したことないだろ・・・
柳生宗矩が凄いんだよ


家光の下での躍進から大名へ [編集]
その後、将軍へと就任した家光の信任を深めて加増を受け、寛永6年(1629年)に従五位下に叙位、但馬守に任官する。さらに寛永9年(1632年)には、3000石を加増された後、初代の幕府惣目付大目付)となり、老中・諸大名の監察を任とした。その後も功績をあげ、寛永13年(1636年)の4000石加増で計1万石を受けて遂に大名に列し、大和国柳生藩を立藩。晩年さらに加増を受けて所領は1万2500石に達した。一介の剣士の身から大名にまで立身したのは、剣豪に分類される人物の中では、日本の歴史上、彼ただ一人である。


官人・宮人に位階(内位・外位及び勲位)を授けること、あるいはそれを行う儀式のことを指す。律令制においては、五位以上を授ける勅授(勲位の場合は六等以上)、内位八位以上もしくは外位七位以上を授ける奏授(勲位の場合七等以下)、それ以下を授ける判授に分けられていた。なお、親王内親王の品位を授ける儀式は叙品(じょほん)と呼ばれていた。
一般官人から貴族階層への昇進となる従五位下への叙位は特に重要視され、叙爵(じょしゃく)・栄爵(えいしゃく)と称したが、後世の堂上公家の中には最初から従五位上以上の位階に叙位される場合もあった。一方、従五位下以上の貴族が更に上位の位階に進むことを加階(かかい)と称した。位階を授けることは、天皇のみに許された権限であり、その高低は天皇との距離や朝廷における身分の指標として重要なものであった。