ぎっちょ

鏡の中の物理学 (講談社学術文庫 31)


46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/10(土) 09:47:11.35 id:ajmdHe7k0
左ききなんだね」はまだいい
「サウスポーなんだね」軽くイラっ


53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/10(土) 09:49:51.34 [id:Lyg/F6rTO]
>>46
「ぎっちょ」って言われたこともあったな…
よくわからんが左利きに使う言葉なのか?


60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/10(土) 09:51:35.68 id:Vr80mf360
>>53
そうだよ
九州でずっとぎっちょって言ってた


■タイトルの読み方は「ひだりぎっちょうとさぎちょう」である。ギッチョという言葉に生理的な嫌悪感を持つ左利きは少なくないらしい。らしいと言うのは、子供の頃は別にして、自分は成人して以降30年、この言葉を投げつけられた記憶はないからだ。ここでは、ギッチョの語源を調べた結果を、ご報告したい。


■ まず古語辞典に当たってみた。何種類かの古語辞典をめくっても、「ひだりぎっちょ」「ぎっちょ」の項目は見当たらない。面白いのは岩波古語辞典(大野晋・他,1974年)における「左」の語源である。……ヒダリは、太陽の輝く南を前面として、南面して東の方にあたるので、ヒ(日)ダ(出)リ(方角)の意か。……とある。まあ、「か?」としているし、用法の例が示されていないので、編者の思い付きの可能性が高い。


■国語事典としては、最も大規模と思われる「日本国語大辞典・第16巻:小学館,昭和50年」には、以下の3項目が見出されるが、対応する漢字表現は示されていない。
     ひだり−ぎちょう
     ひだり−ぎっちょ
     ひだり−ぎっちょう
「ひだり−ぎっちょ」の語源としては、大言海に「ヒダリキヨウ(左器用)の転」とある。左几帳の義とする説もある。また「ひだり−ぎっちょう」に対して古語文献として多く引用される日葡(ポ)辞書はFidariguicho(ヒダリギッチョウ)と説明している。
そこで今度は「ぎっちょう」を引くと「毬杖」と「俗間に、左の手利きたる人をぎっちょうといえるは、左義長という意」とある。


毬杖(ぎっちょう)は、木製の槌(つち)をつけた木製の杖を振るい、木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖。振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)、玉ぶりぶりとも。杖には色糸をまとう。
平安時代童子の遊びとして始まり、後に庶民の間に広まった。その後は形骸化し、江戸時代頃まで正月儀式として残った。現在では、地域における文化体験の一環として時たま楽しまれる。左利きの人が毬杖を左手に持ったことから、ひだりぎっちょうの語源とする説もある。『本朝俚諺』には、「俗間に、左の手の利きたる人をぎっちょといへるは、左義長といふ意、左専(もっぱ)らききたるに準(なら)ふ」とある。


『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』にみえるから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代宮中行事に求めるもの。当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と言う杖で毬をホッケーのように打ち合う遊びがあり、小正月(1月15日)に宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり[1]、その年の吉凶などを占ったとされる。すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。
これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。どうして現在一般的な「左義長」という字があてられたのは、不明である。

「ぎっちょ」は九州だけの方言なんかいな? ググッてみたが地方による括りはないようなんだけれども。それよりもぎっちょでググっていたら、「ぎっちょは差別用語」なんて話があってビックリ。なんでもかんでも自粛するなや。