曲学阿世(きょくがくあせい)
「いまの状況で『安全だ』という学者は曲学阿世の人ですよ。NHKにしても『安全だ』と繰り返すから、取材に来たときに『そんなに安全だと言うなら、あなた方は(高い放射線量が検出された)福島県の飯舘村に引っ越せますか』と聞いたんですよ。『できません』と答えていた」
「いま学に道が乱れ、
俗説が流行している。
このまま放置すれば、
由緒ある学の伝統は、
ついに邪説のため姿を失うに至るだろう。
君は幸いに若いし、
好学の士と聞く。
どうか正しい学問をしっかり勉強し、
世に押し弘めてくれたまえ。
決して自己の信ずる学説を曲げ、
世の俗物どもに阿(おもね)らないように・・・・。」
これが曲学阿世の言葉の起こりとなった。
このじじい・・・・と思っていた公孫弘も、節を曲げない固の立派な人格
と、豊かな学識に打たれ、大いに恥じ入り、さっそく無礼をわびて、固
に弟子入りした。固が生れ、大半の生涯を過した山東では、詩を学ぶ者
は、みんな固を手本にしたし、当時の名ある詩人はみんな固の弟子だっ
たという。
曲学阿世(曲学・阿世 きょくがくあせい/あせ)
世に受け入れられやすいように真理を曲げること。曲学は真をねじ曲げた学問、阿世は世間に媚び(こび)諂う(へつらう)の意。
曲学阿世の徒:そのような行為を行う人々。
僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪とは思つてゐない。仏陀は現に阿含経の中に彼の弟子の自殺を肯定してゐる。曲学阿世の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふのは見す見すより悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるものではない。(芥川龍之介『或旧友へ送る手記』)