ハリー・ポッターと死の秘宝

ハリー・ポッターと死の秘宝 説明文
福岡にもIMAXシアターが出来たので、喜び勇んで友達と福岡でのIMAX公開第一弾である『ハリー・ポッターと死の秘宝』を見にったんだけど、なんかチケットもぎってもらって劇場に入ったあとで「公開日までに完全な形での3Dバージョンへの変換はできないという判断をし、従来ならびにIMAXシアターにおいても、すべて2Dで公開することに決定しました。」という張り紙を発見。
工エエェェ(´д`)ェェエエ 工
友達も僕もハリー・ポッターはそこまでキチンと押さえてなくて、IMAXIMAX 3D)に期待して来たので、コレにはかなりズッコケた。
情弱? 確かに、そのあと別の映画好きの友人に電話する機会があって、ハリー・ポッター見に行ったという話をしたら「3Dじゃないだろ?」と言っていたけれど、せっっかくIMAXが出来たのに、その最初の上映作品が3Dじゃないというのはアレだよなあ(^_^;)


映画自体は、来年7月公開のPART2(本当のクライマックス)直前の所為か(?)、ちょっと中だるみ気味。
ファンタジーの基本が聖杯を探す物語だとしても、奇しくも登場人物が言った通り「延々探すだけで、そこから先の展望がない」(セリフうろ覚え)。
つか、さっきも書いた通り、僕はハリー・ポッターについては上っ面をサラリと撫でただけで良い読者/視聴者ではないけれど、あまりにこのハリー・ポッターという主人公は頼りないよねえ。ただただ運命に翻弄されるだけの存在のように見える。
たとえファンタジーであっても…というか逆に児童向けのファンタジーであればあるほど、最大の敵ヴォルデモートを倒すためには、ヴォルデモートと同じように魔法(という名の自動的な装置)に頼っていてはいけない筈で、つまりはハリー・ポッターは「魔法越え」をしなければならない。そして、この魔法というのは同時にハリー・ポッターを翻弄する運命の象徴でもあるんだよね。あと一本、せいぜい150分ほどの残り時間で、そこまで描くことが出来るんだろうか。
でまた、そういう特別なものを「越える」裏付けとなるのは、普通、恋人や家族との愛や、友達との友情であって、でもハリー・ポッターの場合、家族や名付け親は既に死んでしまっていて(こういう場合、「死」はダークサイドへの入り口にしかならない)、仲良し三人組の友情も強大な敵を倒す力の源泉にはなりそうもない。
なんか僕の知らない要素や伏線があるんだろうか?



閑話休題
残念ながら3Dではなかったけれど、2Dであっても久しぶりのIMAXは凄かった。
今年のあたまに『アバター』を最高の環境でどうしても見たくて、わざわざ東京行ってラゾーナ川崎の109シネマでIMAX 3D版の『アバター』を見たんだけど、そのときはめくるめく3D映像にばかり目が行って音響の素晴らしさに気づいていなかった。この音響を含めてIMAXなんだね。そして、たとえ2Dといえど他の上映方式との違いがハッキリとわかるエッジの立った画面。この高密度さは本当に凄い。
もうIMAX以外では映画を見たくないかもしれない。