真柄直隆と太郎太刀


110 : 爽健美茶(東京都):2010/07/17(土) 18:31:58.70 ID:Jz9GgWTh
どっかの神社にあった巨大な刀が奉納用だと思われていたけど
調べてみたら実戦で使われていた事が判明って話聞いた事がある
昔はすごい豪傑がいたんだなぁ


84 : 心理療法士(愛知県):2010/07/17(土) 18:26:41.97 ID:mKVQ0cZB ?2BP(4001)
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熱田神宮の宝物館に展示してある、真柄直隆が使っていた「真柄太郎太刀」。
真柄太郎太刀


126 : 演歌歌手(アラバマ州):2010/07/17(土) 18:37:05.34 ID:+pMofU5a
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>真柄直隆(まがらなおたか) 天文5(1536)年〜元亀元(1570)年6月28日は、
>朝倉氏の家臣。十郎左衛門。
>朝倉家中でも武勇に優れた人物で、黒鹿毛の馬に跨り、
>越前の刀匠千代鶴の作による五尺三寸(約175センチ)もの
>太刀「太郎太刀」を振り回して戦いでは常に暴れまくったと云う。


すげえ豪傑だなこの人。


その剛勇ぶりは、『朝倉始末記』によると足利義昭朝倉義景を頼って一乗谷に来た際に、御前で二本の大太刀を軽々と持ち上げた上、頭上で十数回振り回したとされている。

※嫡男・真柄隆基は、黒い卵形の大石を空へ投げること十数回と言う剛勇無双の武者とされている。 

得物は越前の刀匠「千代鶴」作の五尺三寸(約175センチ)の大太刀「太郎太刀」で、自慢の太刀を振り回して戦場で無双乱舞していた。

なお別の説では、七尺八寸 (約2メートル40センチ)と言うどこぞの「竜殺し」な太刀であったとも言われている。

※息子の真柄隆基は、四尺七寸(約140cm)の太刀「次郎太刀」を使用した。

織田信長朝倉義景の間で発生した姉川の戦いに参加して徳川家康の軍を相手に奮戦し、一騎で駆けてきたホンダムとも打ち合い、単騎で無双して戦線を支えたものの、味方が敗走を始めると、それに乗じて追撃を試みる徳川軍に対して立ちふさがり、自慢の大太刀「太郎太刀」を振るって阿修羅の様な活躍により味方を撤退させる事に成功する。

しかし、真柄直隆自身は、徳川家の匂坂三兄弟らとの激戦の末に力尽き、


今はこれまでなり、我が首を取って男子の本懐とせよ

と言って大太刀を投げ捨てて自ら首をとられたと言う。

その後、真柄直隆を討ち取った匂坂三兄弟の刀は、「真柄斬り」と名づけられた名刀となった。

太郎太刀


真柄直隆が使用したような大太刀は各地に残されていますが、大太刀があまりにも巨大すぎるため「実戦用ではありえない」ともいわれているようですが、実際に観察すると常寸の太刀と同じ物打のあたりに、疵のある大太刀もよく見受けられるとのことです。
朝倉家の所領には昔から「越前長物」と呼ばれる大太刀の遣い手が多く養われており、真柄直隆もその指揮官の一人だったのではないでしょうか。ゆえに真柄直隆も実際に大太刀を振り回して奮闘していたと考えられます。また斬馬刀のように相手の馬の脚を狙って潰したり、騎乗の武者を叩き落としたりもしていたでしょう。


「真柄太刀」は幾振りも伝わり、それぞれに由緒がついています。最も有名な太刀は

  • 愛知県の熱田神宮所蔵、長さ221.1センチの「末之青江」(通称・太郎太刀) 真柄直澄所用

です。また石川県・白山比竎(しらやまひめ)神社には

  • 長さ186.5センチの「太刀 銘行光」 真柄直隆所用が所蔵されています。

さらに熱田神宮所蔵には真柄直隆の子・真柄隆基所用と推定されている

  • 長さ167センチの「次郎太刀」(千代鶴国安作)も所蔵されています。

真柄直隆も直澄も、名が十郎左衛門であるため、その武功が混同して伝わっているそうです。